誌面の方で一部のマニアの方々から熱烈な支持を受けていた、編集部の大崎と井手という二人の草食男子たちによるお悩み相談企画が、ブログでよみがえることに。今後は定期的に展開していきますので、お時間つぶしがてら最後まで読んでやってください。
QUESTION.008
スモーカーブルース(草食男子に愛の手を)
「ベジタリアンになってお酒やタバコはやめられるものでしょうか?」(P.N hiroroさん)
編集部・大崎 井手くん、前回は取り乱してしまってすまんな。クリスマスの話はどうにも苦手でさ。ほら、僕は関西人やん? 神戸ルミナリエにカップルで集う人たちも羨ましくて仕方なかってん。かれこれ16年も羨ましがっとるがね!
営業部・井手 もういいですよ、そのネタは。年も明けましたし、心機一転、今年こそは草食男子が日の目を見てみんなに素敵な気づきがあることを祈りましょうよ!
大崎 井手くん、君はその前にせなあかんことがあるやろ。
井手 なんですか? 結婚ですか? 僕は今すぐにでもしたいですよ! 僕のプロポーズに頷く女性さえいればですけどね!
大崎 さすが鹿児島県人! 僕には出来ないことを平然とやってのけるッ。そこにシビれる! あこがれるゥ!って、ちゃうがな。結婚やなくて禁煙やがな。君がこそこそと外に出かけていくのを、僕はちゃーんと見とるで。ベジタリアンになったときにきっぱりタバコとは縁を切った!って入社時に言ってなかったっけ?
井手 あ、ああ……。違います、自分で買ったんじゃないんです。タイガーマスクだ! そう、カートンの上にタイガーマスクって書いて僕の部屋の前に置いてあったんです。この一箱を吸い終わったらきっぱりとやめますから!
大崎 でた~、喫煙者の方々のコモンフレーズ。その台詞をこの先何百回聴くことになるのやら……。僕は生まれてこの方、一本たりとも吸ってないから井手くんの苦しみが何一つわからんのやわ。すまんのぉ~。
井手 ほんとですよ! 僕の愛読書が「禁煙セラピー」なの知ってますよね。
大崎 何度も何度も読み込んでボロボロになっとるアレな。「まんが道」で才野茂と満賀満雄が初めて作った同人雑誌「マンガ少年」みたいやわ。あ、今の子は「バクマン」じゃないと喩えてもわからんのか。
井手 Veggyをサブカル雑誌にしようと果敢に試みる大崎さんの喩え力が素晴らしいです! いや、早くやめないと本当にヤバイんですよ。何よりもお金の方が……。
大崎 あぁ、井手くんも値上げによって瀕死状態のクチか。10月に値上げされてから、三ヶ月もよくもったと言えるよな。仮に井手くんが一日一箱吸ったと仮定して、僕と君では月間で1万2千円も使っている金額が違う計算になるもんね。年間額を計算して現実をつきつけるのも申し訳ないくらいや。
井手 それが気づいたら新しいタバコがポケットの中に入ってるんですよ。これは一つの完全犯罪ですよ。誰かが僕の財布の中から440円を取りだして、タバコを一箱購入して、僕のポケットに入れているわけですから。おそろしい!
大崎 アホらし過ぎてつっこむ気にもならんわ。そういや、口癖のように「僕はお酒飲むとタバコが吸いたくなっちゃうんですよねー」って言ってるもんな。それを聞くと酒が全く飲めない体質で良かったって安堵するってもんよ。鹿児島県民ちゃうくてよかった!
井手 僕は関西弁を話せませんが、財政状況は大阪府そのものですよ。
大崎 上手いこと言ったつもりやろうけど、はよタバコ代をカットせなパイプカットされるで。つまり、女の子から愛想尽かされるで。
井手 大崎さんはどうしていつも直球投げ込んでくるんですか! そうなんですよね、先日女の子とデートすることになってですね、ご飯を奢ってって言われたんですよ。僕も男ですから、そんなのは当たり前なんですよ、いつもなら。でも、その時は給料日前だったということもあるし、前日にも大学時代の友人たちと飲んでたんで、お金が全然なかったんですよ。
大崎 ほうほう。
井手 でも、奢らないという選択肢は僕にはなかったわけです。その子のこと好きだったし。山本モナに似てるんです。で、口をついて出た言葉が、「サ○○リヤだったら奢るよ」だったんです!
大崎 ああ……。
井手 作家の村上龍がサ○○リヤのワインは本場のイタリアのワインにひけをとらないし、バカ高い高級イタリアンよりも安くて味もいいと言ってたので、それを信用しちゃったんですよ。モナさんに「サ○○リヤいこうよ、あそこのワイン100円なのに美味しいんだよ」って言ったら、彼女に「ありえない!」って言われて、連絡が途絶えてしまいました。どうせ僕はしがない金なし男ですよ……。
大崎 シガーはあるのにね。
井手 僕の誘い方が悪かったんですかね。「本場のイタリア―ノも絶賛のサ○○リヤならおごるよ」って言えば良かったのかな。だから、もう関大だけは絶対に許さない! 僕は寛大にはなれませんでしたよ……。
大崎 よりにもよって僕の後輩かいな! 僕がモナになり変わり謝るよ。「パッとしないサ○○リヤ」というオチは悲しいね。仕方ない、今日は僕が奢ったろやないか。あ、あれ? 財布の中に150円しかない! その自販機の缶コーヒーでもいいかな……?
井手 「草食男子に愛の手を」って募金活動しましょうか、二人で。
大崎・井手 とほほ……。
編集部大崎は、直島や犬島など瀬戸内海の島々で開催されている瀬戸内国際芸術祭を経由して、実家に帰省しておりました。観光客でにぎわっていた瀬戸内国際芸術祭はさておき、今日は帰省中にやったことの話をしましょう。
それは「事業仕分け」ならぬ「自分仕分け」という行為。
なんだそりゃ?と思われた方、端的に言って「自分探し」の親戚筋みたいなもんです。自分の本質を探すために「ここではないどこか」へと出かける自分探しに対して、自分という存在を再確認するのが自分仕分け。仕分け人は自分自身です。だって、自分のことは自分が一番よく知っているんですもの。何が自分にとって必要なものなのか。無くしてしまったものは何なのか。取り戻さなくてはいけないものがあるのかないのか。「一番じゃなきゃいけないんですか? 二番じゃダメなんですか?」と、“あの方”ばりに僕は僕に問いかける。ちなみに、この類語として「自分棚卸し」というものもあります。
これが必要となった最大の理由は、今年でちょうど大学を卒業して10年にあたる節目の年だから。それは同時に、社会人となって10年目を迎えるということでもあります。というわけで、自分が4年間通った母校の大学と、卒業後に初めて入社した会社へ足を運んでみました。
キャンパスは大阪府吹田市にあります。今では高橋大輔くんと織田信成くんのおかげでフィギュアスケート梁山泊みたいになっていますが、僕の時代はいたって普通の私立大学。阪急電鉄の北千里線を利用して向かうわけです。阪急電車のあずき色の車両、緑色のシート。座り心地が昔となんら変わっていなくて(当たり前だけど)、やはりこの車両に揺られている時間が一番心地が良いな。停車する全ての駅に何らかの思い出があります。だいたいが男の子や女の子の下宿先ですが。梅田を出て、十三、南方、淡路、下新庄、吹田、豊津、そして関大前へ。駅前の風景は以前とはすっかり様変わりしてしまいました。
「夏休みのはずなのにどうしてこんなに人が多いのだろう」と思いきや、訪れた日が実は後期初日だったという絶妙なタイミング。ひっそり恩師に会って挨拶して、学内を散策して帰ろうと思っていたプランをドラスティックに変更。時間的に2限前だったので、こうなれば昔と同じスケジュールを10年の時を越えて再現しようというわけ。
ルート変更! まずは自分が卒業した社会学部の学舎へ!
大学前のメインストリートを抜けていく。毎夜どんちゃん騒ぎが繰り広げられていた居酒屋も潰れ、新たなお店がテナントとして入っている。ほぼ毎日通い続けたレンタル/中古CDショップも、今では「オリジナルTシャツ作ります!」というわけのわからないお店に。実に半数のお店が僕の記憶とは異なってしまっていました。それでも、通りを歩いているとこみ上げてくる胸騒ぎのようなものは変わらないのです。この感覚は何によってもたらされるものなのか。どことなくすれ違う人たちの雰囲気も、いかにも「関大生」然としたものがあるような・・・。いや、前言撤回、なんか男子はちょっとちゃらいぞ・・・。
時間は2限(←この言い方って関西だけ? こっちの人は2時間目っていうの?)がはじまったばかり。張り出された時間割を見ると、運よく自分の恩師の講義がある日! ラッキー、なんてついてるのだ。しかし、それは4限からだったので、それまでの時間をどうするかと考えた時に、「学生時代と同じことをしてみよう!」と思い立ったのでした。
以下、続く。
写真はまだ20歳だったころの編集大崎。こちらは98年のフジロック、トリだったビョーク待ちの時間。ピッチピチやがな!(あえてわかりにくい写真を載せているわけではなく、日本で初めて発売されたCASIOのデジカメQV-10で撮ったものだから。だって10万画素ですぜ!)
営業部I 僕はお腹をこわしてしまうから食べないというのもありますが、大崎さんのようなタイプもキツイことこの上ないんですね。でも、僕は肉は食べませんが心は立派な肉食です!
生来の気質が草食寄りの人間が、心を肉食に変えるのって非常に難しいものなんですね。受け身体質が積極性を有するようになるって、すなわちそれはマンガ「モテキ」のテーマに近いものがあるのかもしれないけれど、あのマンガのフジくんのように一歩踏み出すことがどれくらいのエネルギーを要するか。そして、周囲に迷惑をおよぼすか。犠牲を伴うか。
草食のままで生きていくのは楽であることは間違いないけれど、人生の中で自分を変える必要にせまられることってあると思うんですよ。「モテキ」ではそれが突如訪れた恋愛面での契機だったけれど、何がトリガーとなるかは人によって異なります。そこで芯となる部分はそのままに、肉食的な性質を指向し、もがき苦しみそれを獲得していく(普通に考えてすぐに習得できるもんではないですからね)ことが求められるわけです。もちろんその胎動から殻を破っていくまでのプロセスなんて一人で実行できるものではないので、そんな場面が来たら旦那さんを支えてあげていただけたらと思いますね。食事はそのままで、やがて変革の時は来たれり、ってことで。
営業部I 僕にとってはまったくピンとこない話ですが、やっぱり大変なことなんですよねこういうのって。「草食系」や「肉食系」というラベリングがメディアによってされてからというもの、より閉塞感が出てきた気がしますね。
ましてや僕らはベースメントが草食というものだからね。嫌でも考えざるを得なくなっちゃう。気にするなと言われても気になるものでもあるし。I君みたいに、余計な先入観で見られたくないからと自分から菜食主義であることをカミングアウトしないというのもそうだもんね。意識しているからこその話だよね。まあベジタリアンだからモテるってのはまずないから、I君のスタンスもよくわかるけど(笑)。というわけで、僕は今夜からスタートする「モテキ」のドラマを見ながら、自分が歩んできた恋愛人生を深くそれは深く反省するわ。いつかちゃんタイプばかりと付き合ってきた人生にさよならしないと!
営業部I 狩人の曲名みたいになってますね。「いつか2号」。
今日から君はNIGOだね。ってちゃうがな!
そんな言葉を記してくれた偉大なる先人の教えを律義に守り、小説よりも詩集を買う機会のほうが多い編集部大崎です。なもので、僕の言語感覚(そんなだいそれたものは持ち合わせてはいないけれど)は、数々の詩人によって養われたといってもいいくらい。一例を挙げると、私淑する荒川洋治先生の「渡世」の一節は、今でも僕のコアとなっている。
お尻にさわる
いい言葉だ
日本が残すことのできる言葉は
これくらい
しか
ないだろう
というところに来た
それは言葉がすべてあまさず
そこにあるもの見えるものだけにくっつく
よろこびを知りそこに憩ってしまったからだ
荒川洋治<渡世>より引用
なんと静謐な言葉の連なりだろう。要は言葉の前に立ったとき、言葉と対峙したとき、何を思うのかということなのだろう。「お尻をさわる」ではないのだ。この表現だと、自分のお尻なんだか誰かのお尻なんだかわかりゃしない。でも「お尻にさわる」だと、なんだか崇高なお尻に選ばれた感がひしひしとでている。美しいな、日本語は。そりゃ小沢健二もその美しさにこだわるようになるよ。
かように詩集大好きな僕にとって、こんなにも素敵なシリーズが大手の版元から刊行されるとは思わなかった。この出版不況のご時勢に、これほどまでに胸に突き刺さる書籍が出るだなんて。
小学館より刊行の<永遠の詩>全8巻。
昨年11月から刊行がはじまったこのシリーズが、さる5月に完結した。しかも、その掉尾を飾ることになったのが僕の大好きな詩人の一人である八木重吉なのだから、なおのこと感慨深い。本日のタイトルの言葉も彼によるものだ。
僕は彼のかなしみの詩がなくては生きていけないとすら思う。かなしみを決して失いたくない人たちに永遠に愛される詩の数々。そんな詩人をピックアップして、あえてそのシリーズの最後に配した小学館の担当者氏の意図は痛いほどよくわかる。
たとえば吉岡実の言葉が僕の内なる闇の襞を形成したとしたら、八木重吉の言葉は僕の外を覆う薄い被膜を生成したと言える。その被膜とは、「かなしみ」なのだ。
僕が手伝っている弟の音楽レーベル「Lirico」のコンセプトや音を、言葉で端的に表現するならば「かなしみ」一語になるのだけれど、すなわちそれは八木重吉の詩だ。平易な言葉でつづられる、かなしみの光景、心象は誰しもの心を撃つ。僕が一番好きなのは以下の詩。2008年のScott Matthewのアルバムのライナーノーツでも引用しました。
このかなしみを
よし と うべなうとき
そこにたちまち ひかりがうまれる
はかないまでの かすかなひとすじ
うべなうとは漢字で「肯う」。かなしみを肯定するということは誰にでもできることではない。というよりも、意識して肯定した人は少ないかもしれない。でも、やってみると果たせるかな、本当にかすかな一筋の微光が射しこんでくる。小沢健二が死んだ祖父に捧げた楽曲を「ある光」と名付けたように、かなしみを克己するのではなく受け入れることは、心の中に光芒を生み落とすのだろう。
29歳で夭折した詩人が残した千あまりの詩のなかで、「かなしみ」について書かれたものは実に200をこえる。まるで、桜について詠み続けた西行のごとき数の多さ。かなしみを肯い、受け入れた詩のなかでも、次のものがやはり白眉だ。
<貫く光>
はじめに ひかりがありました
ひかりは 哀しかつたのです
ひかりは
ありと あらゆるものを
つらぬいて ながれました
あらゆるものに 息を あたえました
にんげんのこころも
ひかりのなかに うまれました
いつまでもいつまでも
かなしかれと 祝福れながら
ここには、人間の存在そのものが根源的に「かなしい」ものであることを看破している表現が凝縮されている。「ひかり」を「哀しい」ものだと考える彼の想いに影響を受け、いつしか僕自身も光にとらわれるようになった。
直島の地中美術館での『オープンスカイ』や、金沢21世紀美術館での『Blue Planet Sky』などでジェームス・タレルの光のインスタレーションの中にいるとき、僕はとてもかなしい。冬の地中美術館、差し込む太陽の光で身体はぽっかぽかになるけれど、心の中はぎゃくにぽっかりと空いてしまう。それらの場所で何時間も過ごしたけれど、いつだって光は包み込んでくれたけれど、どうしたってかなしいことばかり考えてしまう。
そんなものは単なるセンチメンタリズムでしかないのだろう。かなしさや切なさに溺れることも、日本古来のセンチメンタルな姿であって、それが失われてしまうことに危機感も感じてしまう今日このごろ。いつかはベジィでも前を向いて死んでいくような特集を組んでみたいものだ。タイトルのような力強さでもって(このタイトルがどれだけ前向きなものかわからない人がいるのだとしたら、これからたくさん死について考える機会ができて羨ましいなと思います)。
今回は、お悩み相談室の別館としてブログ版を展開。大崎の文体が妙にチャーリー(鈴木謙介氏)っぽいのはご愛敬。Iのドヤ顔が目に浮かんでしまうのはご容赦を。今後も定期的にお披露目していけたらなと思います。
※1 ご存じ女子の聖域。男2人でこの場所でいる姿を、他にめにしたことはありません(代官山店、青山店でのみの調査結果)。
※2 浅田彰の「逃走論」より
※3 初開催となった飲み会には、ビッグネームの方々も出席されたそう。
※4 この前行ったときは「大崎くん、黄ニラ持って帰る?」と仰ってくださいました。いつも兄弟そろってお世話になっております。